顔の見えない桃源郷
今、外に出るとマスクを着けている人がほぼを占めていますよね。
当然ちゃ当然なんですけど、それでひとつ思うことがあって。
美人が増えた?
これは逆に男にも言えることなんですけど。
マスクって顔の約半分を隠すわけじゃないですか。
そしたら見えない部分を脳が勝手に補填するわけなんですよね。
その補填が基本的に自分に都合よく想像された顔のパーツを当てはめるわけですよ。
すると当然、今出ているパーツから導き出される最大限の自分の好みの顔が想像、いや創造されるわけです。
外に出ると女性も男性もその補填が入るわけなんですよね。
つまり自然と世の中の顔面偏差値があがるわけですよ。
最高じゃね?
軽く外出するだけで、美男美女のエンカウント率が急激に上がるわけですよ。
誰とも絡まないで、買い物だけして帰るだけならこんなに素晴らしいことはないですよね。
首から下はイケメンと言われた私自身もいくばくかその恩恵に授かっていることでしょう。
ただこのマスク美人社会にも問題があります。
マスク取ったときが残念。
勘違いしないでほしいのがこれは悪口とかそういうんじゃありませんよ。
男も女も自分も含めて総じてそうなんです。
マスクの奥に創造した顔は自分の思い描く最適解、脳は自然と100点の顔のパーツを当てはめているわけです。
マスクを脱いだとき、そこに加点はありません。減点のみです。
だから大体「あっ」ってなります。
99%「あっ」てなります。
「おっふ」ってなるのは奇跡です。すぐに礼拝堂に向かいましょう。
だから私はすでに恐れているのです。
このコロナ禍が沈静化し、マスクの使用率が低下していったとき。
1年以上生活していたこのマスク美人社会が失われたとき。
私の精神はそのギャップに耐えられるのか。
この問題は私だけじゃなくみなさんのことでもあるんですよ。
あなたが通学したときに横にいた人、通勤したときに見かけたあの人。
あなたは無意識に美男美女を創造しているのです。
それが失われるということの恐ろしさに気づいていますか?
これは警鐘なのです。
大人になって見えたからこそわかる見えないことのすばらしさ。
学生時代に感じた見えたほうがいいじゃないかという愚かさ。
見えるか見えないかの瀬戸際に感じるエクスタシー。
想像力、妄想力のみで表現される桃源郷を皆さんは無意識のうちに創り上げてしまっている。
震えて眠れ。
乳は着衣のほうがいい。