マラソンの重み
マラソン嫌いなんですよ。
走ることはそれほど嫌いじゃないんですけどね。
サッカーとか、何か目的のために走るのは構わないんですけど、走ること自体が目的みたいなのがどうにも性に合わなくてね。
短距離走はまだわかるんです。
全力で全身を動かしたあとの爽快感みたいなものはね。
ん?この話前もしたことあるか?
この前、仕事終わって帰ってる最中の話なんですけどね。
こう腸のあたりに重みを感じまして。
「トイレ入って気張ったら出る」っていう状態だったんです。
でも、急を要する感じでもなかったわけですよ。
普段の自分なら駅のトイレで重みと別れを告げてるんです。
その辺は保守的なんで。
守備型なんで。
ただ、そのときは若干状況が違いましてね。
まあ、もうすぐ電車が来ると。
重みと別れを告げてる間に、区急電車とも涙の別れをすることになると。
「早く帰りたい。」
脳細胞の過半数が重みを放出することを忘れ、区急電車のドアが独特の空気音と共に閉まりました。
人生に分岐路があるとすればそこでした。
降車駅に近づくと、猫を被っていた重みが腸を蹴破らんとする勢いで暴れ出しました。
半分の実力も出していませんよと言わんばかりに脳内スカウターから煙を吹き出させたその重みを、最寄り駅のトイレに開放しようとしたとき、「工事中」と書かれた立て札を目にしました。
その時ほど、文字が読めることを恨んだことはありません。
家まで徒歩でおおよそ10分。
正真正銘のゴール。
たどり着けるのか…?
そのときたしかに聞こえたんです。
「大丈夫だ。お前ならやれる。」
自分の敵は自分だが、またその味方も自分。
欲に目がくらんだ過半数の脳細胞たちが自分を応援してくれている。
手の平返しもいいところじゃねえか。
その手の平返しを力に替えて一歩を踏み出す我が身体。
絶え間ない痛み、苦しみ。
何度か心が折れそうになった。
でもその度に自分が応援してくれる。
「まだやれるさ!」
「私に重みを返してください!」
「腸にでっかい便詰めてんのかい?!」
まるで競歩選手のようなフォームで玄関を開けたアドレナリンに溢れたその身体は、本能のままトイレに駆け込むことに成功。
その重みを勢いよく放出しました。
そのとき思ったんです。
マラソンする人ってこんな気持ちでやってんのか。